■話すように書いてみると:「ですます」体で考える

1 「ですます」体がわかりやすいという考え

もはや意外ではないかもしれませんが、それなりに年齢がいった人から、ですます体の方が読みやすいですねと言われました。そういう時代になったのでしょうか。あるいは、私自身の文章に問題があるかもしれません。ちょっと「ですます」でやってみましょうか。

「ですます」体で書くのと、「である」体で書くのでは、内容が同じものであっても、少しずつ違った形式になります。このことは、当然起こるべきことですから、驚くにはあたりません。違いがあることを前提にして、どっちが標準かとなると、さてどうでしょう。

講義録なら、当然のように口語体になりますから、「ですます」が標準になります。講義録のようなものの場合、難しい話であっても、わりあい読めるということがあります。例えば、木田元はハイデガーを読むときに、講義録から読んだら…と言っています。

 

2 講義録は実力が反映しがち

しゃべる方は、わかっている事柄なら、わりあい楽に、自然に次々と話してしまうことがあるはずです。そのとき、きっちりした文章で書くような話の推移をとらないのが普通でしょう。それが、かえって伝わりやすくなることが、あるようです。

話す場合、雑な議論になりがちですから、講義そのままでは、まずいところも出てくるでしょうが、しかし講義録には講義録の良さがありますから。話の流れを生かして、話が飛んでも、そのままの方が伝わりやすい面もあって、たいてい大修正にならずに済みます。

講義録とか講演録というのは、ある意味、その人の実力が反映しますから、よくできたものは、本当に貴重なものとなります。大学とか教養講座での講義が本になると、私など、講義を聞くよりも、こっちがいいと思ってしまいます。内容がよければですが。

 

3 聞いてわかる道筋・流れを重視

ドラッカーの本でも、『経営者に贈る5つの質問』は読みやすいというのですね。まあ、何といってもドラッカーの語った部分は50ページ程度ですから、それは500ページの本を読むのとは違います。それはそうですが、それだけでなく、読みやすいというのです。

ひとつのセンテンスに、無理に押し込めるような話し方をすると、話が伝わりませんが、話すように文章を構成すると、たしかに伝わりやすい形式になります。話すように書いたら、文章は拡散しがちですから、気をつけないといけないのですけれども。

一つのセンテンスがある種の完結した形を取るようにすることは、大切なことだと思います。「完結した形」というのが曲者ですが、聞いてわかる筋道、流れということでしょうか。そういうわかりやすさを、「ですます」体は意識させるのかもしれません。

いままで途中で留め置いた話もありますから、これは何を言いたかったのか、その辺からもう一度お話ししてみたいと思います。まずは「顧客の創造」について。備忘録のように何度か書いておいたものですが、まだ途中の話でした。わかりにくかったと思います。

 

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